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鹿児島地方裁判所 昭和47年(ワ)374号 判決

原告 井上孝一

〈ほか二名〉

右原告三名訴訟代理人弁護士 小堀清直

同 亀田徳一郎

同 井之脇寿一

右代理人小堀訴訟復代理人弁護士 蔵元淳

被告 鹿児島県

右代表者知事 金丸三郎

右訴訟代理人弁護士 和田久

被告指定代理人 福元哲夫

〈ほか二名〉

主文

一、被告は、原告井上チヱに対し金一八七万九、三〇四円、原告井上孝一に対し金一七二万二、六七八円、原告井上伸一に対し金一六二万三、一三四円および右各金員に対する昭和四七年一二月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二、原告らのその余の請求を棄却する。

三、訴訟費用はこれを一〇分し、その一を原告らの、その余を被告の負担とする。

四、この判決は、原告ら勝訴部分に限り、原告らにおいてそれぞれ金三五万円の担保を供するときは、仮に執行することができる。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告ら

(一)  被告は、原告井上チヱに対し二〇五万二、四二一円、原告井上孝一に対し一九五万二、〇五一円、原告井上伸一に対し一八六万三、〇二一円および右各金員に対する昭和四七年一二月二二日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

(二)  訴訟費用は被告の負担とする。

との判決。

二、被告

(一)  原告らの請求を棄却する。

(二)  訴訟費用は原告らの負担とする。

との判決。

第二、当事者の主張

一、請求原因

(一)  原告チヱは訴外亡井上米一の妻、原告孝一、同伸一は米一およびチヱの間の子である。米一および原告らは、始良郡牧園町下中津川一四番地に居住していたが、同所には米一の祖父の代から居住を始めた。

(二)  昭和四六年八月五日の夜から翌六日早朝にかけて、米一方居宅の後方山腹にある県道犬飼霧島神宮停車場線の一部が崩れ落ち、米一所有の居宅等を押しつぶした(以下この事故を「本件事故」という)。

(三)  本件事故の原因は、次のとおりである。

1、本件事故の崩壊現場付近の道路は、シラス、溶結凝灰岩およびシラスを主とする入戸軽石流の層からの転石群によって構成されている崖錐を切り取って設置されており、道路西側は山、東側は急な傾斜の崖となり、その崖下の東側には中津川が流れている。崖錐は、それ自体崩れてできたもので且つ斜面として溜っているという不安定なものであり、そのうえ透水性に富んでいるためきわめて崩落の危険性が高く、現に本件事故現場付近においては、過去においても落石、土砂の小崩壊、路肩部のゆるみおよび沈下が何回か発生し、多量の降雨のある場合は注意を要する箇所であった。

2、本件崩壊現場付近の道路の路面は、厚さ約三センチメートルの簡易アスファルト舗装で、本件事故当時路面の東側寄りには舗装されてない部分がありそのさらに東側の路肩部は土手状となっており、道路西側には側溝が設けられていた。そして、本件事故当時路面は、東側が西側より約八〇センチメートル低くなっていたため、路面を流れる雨水がすべて東側に集中して流れ、路肩部を著しく弱めていた。

3、右2のようなことが原因となって、本件事故前本件崩壊現場付近の道路の路肩部分には、地盤のゆるみ、沈下現象を生じ、路面東側寄りの未舗装部分およびそれに近接した舗装部分に、幅五ミリメートルないし五センチメートル、長さ三・四メートル位の亀裂を生じていた。一方、本件事故当時道路西側の側溝は、元来浅いうえに土砂や落葉等が埋っており、特に本件事故前日からは崩土で埋っていたため、用をなさなかった。

昭和四六年八月四日ころから大量の降雨があったが、かねてから路面が右2のように東側が低くなっていたことに加えて、側溝が右のように用をなさなくなっていたため、路面を流れる水が右路面の亀裂から大量に浸透し、透水性の崖錐中を下降して路面下方に存在すると推定される不透水ないし難透水性の始良層上面にまで達し、崖錐基底部および始良層上面部の含水量を増大せしめて飽和状態に達し、その結果砂質部においてパイピング現象ならびにこれに伴うのり面および本件崩壊現場付近道路の滑動を生じて、本件事故が発生した。

4、仮に、本件事故前に右3のような流水が浸透するような亀裂を生じていなかったとしても、本件崩壊直前に前記2のようなことが原因となって路肩部分に地盤のゆるみ、沈下を生じ、それによりさらに路面に亀裂ができて、同所から右3と同様に流水が浸透して本件事故が発生した。

(四)  本件事故の発生した道路は県道で、被告は右道路の管理者である。そして、前記(三)の1のように本件崩壊現場付近の道路はきわめて崩壊の危険性の高い所であるのに、同2のように路面の流水が東側路肩部に集中するような形状にし、且つ同3のような路面の亀裂、側溝の埋れを放置することは、道路が通常備えるべき安全性を欠如させるものであるから、本件道路の管理に瑕疵があったものというべく、被告は国家賠償法(以下「国賠法」という)第二条一項に基づき、本件事故による原告らの損害を賠償する責任がある。

(五)  本件事故により、米一および原告らが受けた損害は、次のとおりである。

1、亡米一の損害 合計四九八万三、七二三円

(1) 椎茸の収穫不能による逸失利益 二一一万一、九四七円

米一は椎茸生産を営んでいたが、本件事故により生椎茸乾燥室が倒壊したため乾燥作業が不能となり、昭和四六年秋に採取を予定していた椎茸全部の粗収入六五六万七、〇〇〇円相当を喪った。右椎茸の生産に要する経費は多く見積もっても四四五万五、〇五三円であるので、米一は右椎茸の収穫不能により二一一万一、九四七円の得べかりし利益を失った。

(2) 動産および不動産の損壊による損害 二七二万一、七七六円

明細は別紙目録(一)記載のとおり。

(3) 慰藉料 一五万円

米一は、本件事故によりその住家を失い多大の精神的苦痛を受けたが、右精神的苦痛に対する慰藉料としては一五万円が相当である。

(4) 米一は昭和四六年一一月一日死亡し、原告チヱ、同孝一、同伸一が、右米一の権利義務を三分の一宛相続した。

2、原告チヱの損害 三九万一、一八〇円

(1) 動産の損害 二四万一、一八〇円明細は別紙目録(二)記載のとおり。

(2) 慰藉料 一五万円

3、原告孝一の損害 二九万〇、八一〇円

(1) 動産の損害 一四万〇、八一〇円明細は別紙目録(三)記載のとおり。

(2) 慰藉料一五万円

4、原告伸一の損害 二〇万一、七八〇円

(1) 動産の損害 五万一、七八〇円明細は別紙目録(四)記載のとおり。

(2) 慰藉料 一五万円

(六)  よって、被告に対し、原告チヱは前記米一から相続した分および自己の損害の合計二〇五万二、四二一円、原告孝一は同一九五万二、〇五一円、原告伸一は同一八六万三、〇二一円および右各金員に対する訴状送達の翌日である昭和四七年一二月二二日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。

二、請求原因に対する被告の答弁および主張

(一)1、請求原因(一)の事実のうち、米一の祖父の代から居住を始めたことは知らない。その余の事実は認める。

2、同(二)の事実は否認する。

3、同(三)の事実は否認する。

4、同(四)のうち、原告らの主張する道路が被告の管理する県道であることは認めるが、その事実および主張は争う。

5、同(五)の事実のうち、1の(4)の事実は認めるが、その余の事実は知らない。

(二)  本件事故の原因等について

1、本件崩壊現場付近道路の西側山塊に降った雨は、一部は右山の斜面の表面を流下して道路上部の崖錐部分と地山の地層との境付近および崖錐の転石間の空隙から地下に浸透し、また右斜面には小雑木が群生し雑草がかなり繁茂しているから、降雨の一部は右地山の表面からそのまま地下に浸透するものと思われる。

右道路西側山塊は、火山灰、シラス、溶結凝灰岩の互層であり、溶結凝灰岩は一般的にはかなり不透水性であるとされている。しかし、本件崩壊現場付近においては、従来度々溶結凝灰岩層からの落石が見受けられたから、同付近の溶結凝灰岩は亀裂ないしは割れ目が多く、水を透しやすい地層であったと想像される。したがって、前記のようにして山塊の地下に浸透した水は、火山灰、シラス、溶結凝灰岩の互層を浸透して、容易に不透水性の始良層等に至るものと考えられる。そして、本件崩壊現場付近の地形は、所謂沢状になっており、崩壊箇所は右沢の最も引込んだ所であるから、背後の山間部の地下浸透水が、地中の割れ目を伝って集積されやすい状況にある。

2、本件事故は、昭和四六年三月から多量の降雨があったうえに(昭和四六年三月から本件事故当時までの降雨量は約二、二〇〇ミリ立方メートル)、同年八月四日から本件事故当時までに山間部では約五〇〇ミリ立方メートルというきわめて異常な集中豪雨があったため、右1のような地形上本件崩壊現場道路後背部からの地下浸透水が不透水性の始良層等にまで至って溜り、道路東側のり面の表土が多量な含水と立木の動揺によりいささか軟弱化していたために、右浸透水が透水性の崖錐部に噴出し、その結果噴出口周辺の表土が流出して右のり面に空隙を生じ、さらにのり面の沈下が誘発されて路肩に及んだものである。

3、ところで、道路東側ののり面は、本件事故当時までは民有地であり、本件事故後被告が取得して災害復旧工事を施行したものであって、事故当時は直接被告の管理権の及ばないところであった。もっとも、道路の保全のためにはのり面も道路と密接な関係があるので、道路管理者たる被告において道路のり面を監視し、異常若しくは危険が予知される場合には、当然対策を講ずべきことはいうまでもない。しかし、国賠法第二条所定の道路管理の瑕疵とは、当該道路が本来備えているべき構造、性能を備えていないことであり、予測不能な異常な現象に対する防止措置を講じていなかったからといって、それが右法条の瑕疵に該当するものではない。そして、本件事故は、前記のとおりきわめて異常な集中豪雨により、予測不可能な背後山間部からの地下浸透水の噴出という現象によって生じたものであるから、本件事故は不可抗力によるものというべく、被告に道路管理の瑕疵はない。

(三)  本件事故が路肩に近接した路面からの浸透水によるものであるとの原告の主張に対する反論

1、仮に、本件事故当時路肩に近接した路面に亀裂が生じていたとすれば、右亀裂の原因は、大量の降雨のため路肩表土部分の含水量が増加して路肩部分の重量の増加と軟弱化を招き、さらに強風による立木の動揺によって路肩部分の表土の間隙増大とゆるみを生じた結果である。したがって、右亀裂が生じていたとすれば、その生じた時期の如何を問わず既に路肩自体がきわめて軟弱化していたとみるべきであり、そこに豪雨による路面の流水が亀裂から相当量注入したとすれば、まず弱体化した路肩自体が路面から一ないし二メートル位の範囲にわたって崩壊することは必然というべきである。そして、右崩壊後路面から流入する水はすべて崩壊のり面に沿って流れるから、本件のような多量の崩土を伴う崩壊は起き得ないし、また事故後道路東側のり面にみられたような地下浸透水の噴出口も残存しないはずである。

2、また仮に、路面の亀裂から流入した水が崖錐内部の間隙を浸透し崖錐下部に大量に集積して噴出したものとすれば、路面から崖錐基底部に至るまで急速に水を吸引するような縦割間隙、亀裂が崖錐部に存在し、右間隙、亀裂部分からのり面側が崩壊を生じ、崩壊後は崩壊のり面に水路となった右縦割間隙、亀裂の痕跡が見受けられるはずであるが、本件事故後崩壊現場のり面に右のような間隙、亀裂の痕跡は見当らなかった。

3、本件崩壊現場付近道路の路面は、事故当時東側がいくらか低く、路面の流水が東側土手に集ったことは考えられる。しかし、右道路の西側には幅〇・七ないし〇・九五メートル、深さ〇・三メートルの手掘りの側溝があり、道路西側山の斜面の流水を受けるには十分であり、また右道路の北側(犬飼寄り)および南側(安楽寄り)ともに路面は西側が低くなっており、且つ北側には暗渠も設置してあり、さらに北側から南側に向ってかなりの下り勾配になっているから、本件崩壊現場の路肩付近に影響を与えるほど路面の流水が路肩に集中する状況ではなかった。もっとも、本件事故時には、本件崩壊現場北側の側溝にシラスの土砂が落ちて側溝を埋め、側溝から溢れた流水が路面を洗うことになっていたかもしれない。しかし、右崩土のあった箇所から南側部分の路面は西側が低くなっていたから、仮に側溝を溢れた水があったとしても、右流水の大部分は再び側溝にかえって流れたものと思われる。

第三、証拠関係≪省略≫

理由

一、≪証拠省略≫によれば、米一は安楽から犬飼を経て霧島神宮に至る県道犬飼霧島神宮停車場線の、安楽橋から約一キロメートル犬飼寄り地点の道路東側のり下に家屋を所有し、原告らとともに居住していたこと、同所には米一の祖父の代から居住していたこと、右道路東側のり面はかなりの急勾配の崖状になっており、路面から米一方までは垂直距離にして約三二・四メートル、路肩からのり面沿いの斜面距離にして約五〇メートルであったこと、昭和四六年八月五日の夜から翌六日早朝までの間に、米一方上方の道路東側のり面、路肩および道路敷の一部が崩壊し、その岩、土砂によって米一方は倒壊したこと、以上の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

二、そこでまず、本件事故の原因につき検討する。

(一)  本件事故前の崩壊現場付近道路の状況

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められる。

1、県道犬飼霧島神宮停車線はもと国道二二五号線の一部(二級国道)で、昭和三八年ころ防塵のため簡易舗装がなされたが、その後国道が他の箇所に設置されたため、県道に移管された。本件崩壊現場付近の道路西側は、路面から四〇ないし六〇メートルの高さの山並みが続いており、そののり面は路面に対し急な勾配をなし、道路西側端には、本件事故前から幅約七〇ないし九五センチメートル、深さ約三〇センチメートルの手掘りの側溝が設置されていた。一方、道路の東側端には土手状の、路面からの高さ三〇ないし六〇センチメートル位の路肩部分があり、同所には檜等が疎らに生えていたが、右路肩およびその下の東側のり面は本件事故前は民有地となっており、右のり面には杉、檜等が生え、特に人工的に手を加えた防護施設等はなかった。そして、路面はほぼ右土手際まで舗装がなされていた。本件崩壊現場付近の道路の幅員は約四・六ないし六・二メートル(東側土手部分を除く)で、同付近では路面は東側が西側より三〇センチメートル位低くなっており、その少し北側および南側では、逆に東側がやや高くなっていた。本件崩壊現場付近では、路面は北側から南側に向けて約五・二度の下り勾配をなし、排水施設として前記道路西側側溝のほか、本件崩壊現場から二〇〇ないし三〇〇メートル北側および同現場から数一〇メートル南側に、右西側側溝から道路東側のり面に通ずる約六〇センチメートル角の石造りの暗渠が設置されていた。

2、本件崩壊現場付近の道路は、溶結凝灰岩の転石およびシラスからなる崖錐の一部を切り取って設置されているが、崖錐は重力の作用によって石が崩れ落ちて形成されたものであるため、元来滑動を生じやすい性質をもち、現に本件崩壊現場付近では、本件事故以前も何回か降雨の際西側山ののり面からの石および土砂の崩落があり、その復旧、防災工事としてコンクリート擁壁の設置、ブロック積み、コンクリート吹付等がなされ、また道路東側のり面では、本件以前に本件崩壊現場の数一〇メートル北側および南側(暗渠の排水口付近)で路肩部分の沈下があった。そして、溶結凝灰岩は、一般に非常に固く溶結している中間部分において多くの割れ目を生じているから、前記のように溶結凝灰岩の転石からなる崖錐の上部を切り取って設置されている本件崩壊現場付近道路においては、路肩および路面に亀裂を生ずると、右亀裂から流れ込んだ水は容易にほぼ真直ぐ崖錐中を地下に浸透して行く可能性が強い。

右のように認められる。≪証拠省略≫のうち、道路舗装の範囲および側溝の深さに関し右認定に反する部分は前記証拠に照らしたやすく信用できず、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

(二)  本件事故直前の状況

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

1、昭和四六年八月上旬ころ鹿児島県地方に台風一九号が接近し、同月三日から右台風の影響による雨が降り始め、雨量は、同日午前九時から翌四日午前九時までの分が、本件事故現場から南方約八・五キロメートルの位置にある平地部の国分で一二五ミリ立方メートル、本件事故現場から北東約一一・五キロメートルの位置にある山間部の湯之野で三〇〇ミリ立方メートル、本件事故現場から北西約一一・九キロメートルの位置にある山間部の横川で五三ミリメートル、四日の午前九時から翌五日午前九時までの分が、国分で一四二ミリ立方メートル、湯之野で三五四ミリ立方メートル、横川で一八〇ミリ立方メートル、五日午前九時から翌六日午前九時までの分が、国分で八一ミリ立方メートル(うち五日午後一二時までの分が八〇・五ミリ立方メートル)、湯之野で四二一ミリ立方メートル(うち五日午後一二時までの分が四〇九・五ミリ立方メートル。一時間当り最大降雨量は同日午後四時から五時までの五一・五ミリ立方メートル)、横川で三六一ミリ立方メートル(うち五日午後一二時までの分が三六〇ミリ立方メートル。一時間当り最大降雨量は同日午後六時から七時までの五三ミリ立方メートル)であり、したがって、本件事故現場付近は山間部であるから、右湯之野および横川と同程度の多量の降雨があったものと推測される。

2、同年八月三日本件崩壊現場から約一〇〇メートル位安楽寄りの路上に溶結凝灰石の落石があり、その後もなお落石による交通の危険が予想されたため、本件道路を管轄する栗野土木事務所長は同日、県道犬飼霧島神宮停車場線の安楽三差路から本件現場を経由して犬飼三差路までの間を交通止めとした。右交通規制がなされた後も、本件崩壊現場付近を受持区域とする道路整備員(旧道路工手)訴外地頭方文男は、単車でその受持区域を巡回し、事故前最終的には五日午後四時三〇分ころ本件崩壊現場付近道路を巡回したが、格別異常は発見しなかった。そして、翌六日午前九時三〇分ころ巡回のため本件崩壊現場付近に来て、はじめて本件事故の発生を知り、直ちにその旨前記土木事務所に報告した。

3、訴外久保三千男は同月五日発電所のダムの水路を巡回するため、同日午前七時三〇分ころ本件崩壊現場付近道路を通ったが、その際同付近の路上を多量の水が流れ、且つ同付近の路肩寄り路面にひび割れを生じ、同所から多量の水が地下に流れ込んでいるのを認めたため、同人はこのままでは米一方が危険だと考え、ダム付近には一般民家に通ずる電話がなかったため、ダムに帰ると直ぐ電力会社専用電話を通じて発電所の訴外上山好に対し、米一方に避難するよう電話連絡してほしいと伝えた。右連絡を受けた上山は直ぐ米一方に電話したが、米一方は家人不在のため結局連絡できないままにおわった。

もっとも、右に認定の事実は、前項2の道路整備員地頭方が巡回した際に異常がなかったとの認定と一見矛盾するかの如くであるが、しかし、地頭方と久保とが本件崩壊現場付近を通った時刻は、八月五日のうちでも全く違う時間帯であることがうかがえること、また≪証拠省略≫に照らすと、八月五日の降雨は断続的であったことがうかがえるから、その時の降雨状態如何によっては割れ目の存在および同所への水の流入を容易に発見できない場合もあると考えられること、さらに地頭方の巡回は単車によるものであるから、必ずしも路面の細部にわたるまで正確に確知することができない場合もあると考えられること等に照らして考えると、五日の早朝に久保が路面のひび割れと同所への水の流入を発見したことと、地頭方が巡回の際、本件崩壊現場付近で異常を発見しなかったこととは、必ずしも相反するものではないと考えられる。

4、同月五日午後六時ころ米一方隣家に居住する訴外池田辰夫が、本件崩壊現場付近道路を見回ったところ、本件崩壊現場から若干北方寄りの西側のり面からシラス土砂が落ち同付近の側溝を埋めていたので、スコップで右側溝の土砂を取除いて帰ったが、本件事故発生後の翌六日早朝同人が右場所を見回った時は、再び右側溝は崩土で埋っていた。右再度の崩土が本件事故発生前に生じたものかどうかは明らかでないが、いずれにしても右池田が側溝の崩土を取除くまでに、側溝を溢れた水の一部が本件崩壊現場付近路肩部の土手に流れ込んだことが推測され、さらに右再度の崩土が本件事故発生前に生じていたとすれば、その後も同様に側溝を溢れた水が右土手に流れ込んだと考えられる。

5、米一および原告らは、米一が病気のため同月四日鹿児島市立病院に入院したため、本件事故発生時は一家全員不在であり、本件事故による生命、身体に対する難は免れた。

(三)  本件の事故の原因

1、右(一)および(二)に認定の事実に≪証拠省略≫によれば、次のように認められる。

本件崩壊現場付近道路は、溶結凝灰岩の転石およびシラスからなる崖錐部を一部切り取った形で設置されているため、元来落石、崩壊、亀裂、地盤のずれ等が発生しやすい性質を有していた。そして、昭和四六年八月三日から本件事故発生時までの間に台風に伴う多量の降雨があり、本件崩壊現場付近道路は北から南へ急な下り勾配の坂道になっているため、路面に降った雨は路面が流路となって北から南へと流れ下り、しかも本件崩壊現場付近では事故当時路肩部の東側が西側より三〇センチメートル位低くなっていたため、東側路肩部に路面の流水が集中し、その結果土手状の路肩部表土の含水量が増加し、同部分の重量の増加と軟弱化を招来し、そのうえに強風による立木の動揺が加わって表土の間隙増大と路肩部のゆるみを助長した。そして、本件崩壊現場付近においては、同月五日早朝の時点で既に路面と土手との境付近にかなりの流水が地中に流れ込む程度の亀裂ができており、その後の風雨によって右亀裂の拡大および新たな亀裂の発生、地盤のずれを招来し、右亀裂等から浸入した水は崖錐中を下降して難透水性のシラス層および始良層上面に達し、崖錐基底部付近および始良層上面部の含水量を増大せしめて飽和状態に達し、間隙水圧の増大と右部分における土質の軟弱化により、砂質部において急速に水がのり面から溢れ出て(所謂パイピング現象)滑動を生じ、のり面、路肩および路面の崩壊を生じ、それが本件事故の原因となった。

2、被告は、本件事故の原因は、本件道路西側の山の地下浸透水が噴出したものである旨主張し、証人西村実、同鹿屋兼光、同竹之下淳は、右被告の主張に副う証言をしている。

しかし、≪証拠省略≫によれば、(1)右道路西側の山は隆起面積が狭く、且つ右山を構成するシラスは難透水性のため、右山に降った雨が多量に且つ急速に地下に浸透して、始良層の上部に急速に水量が増加するとは考えられないこと、(2)右山からの地下浸透水が道路東側のり面に噴出したのであれば、崖錐全体に滑動を生じ、少くとも路面にも右滑動による亀裂があらわれ、本件事故後みられた崩壊よりももっと大規模なものとなると推測されることが認められ、右事実に、前記証人の西村、屋鹿、竹之下らは、いずれも永年県の土木部に所属し道路の管理に従事して来た者ではあるが、地質学等に関し十分専門的な知識を有する者ではないこと等を合わせ考えると、被告の主張に副う前記各証言は前記1の認定を左右するものではないというべきであり、他に右1の認定を動かすに足りる証拠はない。

三、次に、本件事故前および事故後の被告の道路管理状況につき検討する。

(一)  被告の事故当時の一般的管理体制

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

本件崩壊現場付近道路の現場における直接の管理は、栗野土木事務所が担当していた。土木事務所には道路整備員が置かれ、道路整備員各人毎に約二〇キロメートル位の受持区域が決められていた。道路整備員は、平常は二ないし三日に一回自己の受持区域を単車で巡回して、障害物、危険な路面のくぼみ・亀裂、側溝のつまり等がないか否かを確かめ、異常を発見した場合には、簡単に修復できるものは道路整備員が土木事務所に置いてある工材を使用する等して修復し、道路整備員だけでは修復できないようなものについては、土木事務所に報告して土木事務所に置かれている維持補修班が修復工事をしていた。大雨等の異常事態の場合は、一日最低二回は自己の受持区域を巡回し、ことに本件現場付近一帯は危険性の高い所と考え、巡回に際しても特に注意していた。右のような道路整備員による巡回のほか、土木事務所の技師が一ヵ月二ないし三回の割合で管轄区域内の道路を巡回して、路面、路肩およびのり面の状況の監視、不法占有者の排除等を行っていた。

(二)  本件事故後の被告の復旧工事等

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

被告は昭和四七年七月、本件崩壊現場の道路東側のり面を買収し、路肩直下からのり面下方に南北の幅約二二メートル、のり面沿いの上下の幅一〇メートルにわたってコンクリートののり枠工を設置し、その下方ののり面にのり面沿いの上下の幅五・五ないし七メートルのブロックを積み、さらにその下方ののり面には高さ約六ないし八メートルにわたってコンクリートの擁壁を設置した。道路敷の部分には、道路東側端に沿って南北二二メートルにわたり路面からの高さ約八〇センチメートルのガードレールを設置し、路面は東側の土手がなくなって東側端の路肩部分まで舗装がなされ、且つ事故前とは逆に東側が西側より約三〇センチメートル高くなった。また、本件事故のころ備溝に崩土のあった前記二の(二)の4の道路西側のり面には、その下端は側溝に接してコンクリート擁壁が設置された。

四、そこで次に、被告の管理の瑕疵の有無につき検討する。

(一)  国賠法第二条第一項所定の「営造物の設置または管理に瑕疵がある」とは、当該営造物が通常有すべき安全性を欠いていることをいうものと解すべきところ、道路が具有すべき安全性とは、単に当該道路における交通の安全の確保のみでなく、道路の崩壊等により当該道路の近くに居住する住民の生命、身体、財産を侵害しないようその安全性をも確保するものでなければならないというべきである。したがって、道路管理者は、地形、地質、気象等を考慮し、当該道路の崩壊等により他人の生命、身体、財産に対して危害を及ぼす災害の発生する危険があり、その災害の発生を通常事前に予測することが可能であり、且つ道路管理者において右危害の発生を未然に防止するため必要な措置を講ずることができたと考えられる場合には、道路管理者は設置または管理の瑕疵による賠償責任を免れないものといわなければならない。そして、右災害の発生を予測することが可能であったか否かの判断は、地質学等道路の設置、管理上必要とされる科学的、専門的領域の災害発生時における一般的水準によって判断すべきものと解せられる。

(二)  そこで、これを本件についてみるに、

1、本件崩壊現場付近の道路が、溶結凝灰岩の転石およびシラスからなる崖錐部を切り取ってできたもので、きわめて崩壊を生じやすい性質を有することは、当時の地質学等の専門的見地からすれば、容易に知り得たものといわねばならない。そして、本件事故当時栗野土木事務所の技師であった鹿屋兼光証人も、「本件現場付近は、溶結凝灰岩の転石が重った状態の所が多い。」旨証言しており、また前記二の(一)の2で認定のように、本件崩壊現場付近で過去何回か落石、崩土、路肩の沈下等が発生していることからしても、現場における道路管理を担当する実務遂行者においても、前記のような本件崩壊現場付近の地質およびその危険性については、十分認識していたことがうかがえるのである。したがって、降雨によって崖錐中に多量の水が浸透すれば、本件事故のような崖錐の崩壊による災害が発生することは、十分事前に予測し得たものというべきである。

被告は、本件事故が予測不能な多量の降雨によってもたらされた旨主張している。しかし、梅雨期あるいは夏および秋期における台風に伴って多量の降雨があることは一般経験則上明らかであり、本件道路は山間部に設けられているから一層多量の降雨が予測され、しかも、前記二の(一)の2で認定のように本件事故前も本件崩壊現場付近で降雨による崩壊が何回か生じていたのであるから、本件事故が事前にこれを予測し得なかったものということはできない。

2、右のように、本件崩壊現場付近の道路の崩壊が事前に予測し得たものである以上、道路管理者たる被告は、道路の崩壊によって同道路付近に居住する住民の生命、身体または財産への危害の発生を防止するために必要な措置を講じなければならないものというべきである。ことに本件崩壊現場のように、道路が急崖の上に設けられ且つ急崖の下に住家がある場合は、道路、のり面等の崩壊により生命、身体への危害の波及の可能性がきわめて高いから(前記二の(二)の5で認定のように偶々本件事故の場合には、原告ら方家人不在により生命、身体への難を免れた)、右災害発生の防止のための措置を講ずべき責務が強く要請されるものといわねばならない。

しかるに、本件事故のように多量の降雨がある場合には、本件崩壊現場付近の地形からみて多量の水が路面を流れることが予想されるにもかかわらず、本件事故当時被告は、本件崩壊現場付近道路の路面の東側が西側より約三〇センチメートル低くなって路面の流水が土手状の路肩部に集中し、且つ路肩部分は土手のため右流水によって同部分のゆるみ、亀裂を生じやすい状態を放置し、また崩土により道路西側の側溝が埋まると路面の流水を増加させるおそれがあるから、右のような事態の発生を防止する必要があるのに、その防止のための措置が不十分であり、さらに道路東側のり面についても何ら崩壊を防止するための措置を講じていなかった。もっとも、本件道路の路面の東西の勾配の改修のみでなく、のり面についても崩壊に対する防護施設を設置するとした場合相当の費用を要し、管理者たる被告としてはその予算措置に困難をきたすであろうことは十分推察されるが、しかし、それだからといって被告が道路管理の瑕疵によって生じた損害に対する賠償責任を免れ得るものではなく、前記三の(二)で認定のように、本件事故後被告が崩壊防止のための種々の措置をとっていることに照らしてみても、本件事故が不可抗力ないし回避可能性のない場合であったといえないことは明らかである。

したがって、本件事故は道路管理に瑕疵があったため生じたものであり、被告は国賠法第二条第一項により本件事故による原告らの損害を賠償する責任があるというべきである。

五、そこで、原告らの損害につき検討する。

(一)  亡米一の損害

1、椎茸の収穫不能による逸失利益

≪証拠省略≫によれば、次の事実が認められ、この認定に反する証拠はない。

米一は椎茸生産を営んでいたが、本件事故により乾燥室が倒壊したため生椎茸を乾燥することが不能となり、昭和四六年秋に採取を予定していた椎茸を収穫して乾燥、販売することができなかった。椎茸はくぬぎの原木に椎茸の胞子の付着した木片(種駒)を打込んで栽培するものであるが、種駒の打込みから現実に椎茸が採取できるまでには二年を要し、その後四年間(即ち種駒を打込んでから六年後に至るまで)にわたり椎茸が発芽する。米一の所有していた榾木(種駒を打込んだ原木)のうち、昭和四六年秋に収穫可能であったものは、昭和四二年、昭和四三年に原木を購入した分が一、五〇〇石、昭和四四年に原木を購入した分が七〇〇石、以上合計二、二〇〇石であり、右全部の原木から昭和四六年秋に収穫が予定されていた分は乾燥椎茸にして一、九九〇キログラムであり、昭和四六年秋の販売平均単価は、乾燥椎茸一キログラム当り三、三〇〇円であった。したがって、右収穫予定高に右単価を乗ずると売上予想金額は合計六五六万七、〇〇〇円となる。

一方、右生産に通常要する経費は、前記甲第五号証に雑費として計上してある分を除くその他の原木および種駒購入費、運搬費、摘取その他の人件費、乾燥用燃料費、減価償却費が四一三万二、〇五三円であり、右以外の雑費として売上高の五パーセント程度を要し、昭和四六年秋の売上予想高は六五六万七、〇〇〇円であるから、右雑費として要する額は三二万八、三五〇円となる(甲第五号証には雑費として三二万三、〇〇〇円が計上されているが、右は計算の誤りと認められる)。右のほか、前記認定のように米一は昭和四六年夏から病のため入院していたものであり、したがって、仮に昭和四六年秋の椎茸の収穫が可能であったとしても、米一自ら生椎茸の乾燥作業に従事することはできず他人に右作業を依頼せざるを得なかったものと認められるところ、前記甲第五号証記載の経費中には右人件費が計上してない。昭和四六年当時の人夫費は一日一、三〇〇円であり、昭和四六年秋の収穫予想高九、九五〇キログラムの椎茸を乾燥するには一昼夜にわたる五六回の乾燥作業を要するから、右乾燥のため要する人件費は合計一四万五、六〇〇円となる(乾燥作業が一昼夜にわたるので、一回の乾燥作業に要する人件費を通常の二日分として計算)。したがって、経費総額は四六〇万六、〇〇三円となり、米一は椎茸の収穫不能により一九六万〇、九九七円の得べかりし利益を失ったことになる。

2、動産および不動産の損害

≪証拠省略≫によれば、本件事故により米一所有の別紙目録(一)の一ないし九〇記載の電気製品、衣服、食器およびその他の動産、同目録九二、九三記載の建物が損壊し使用不能となったことが認められる。ところで、原告らは右物件の損害額につき、購入価額が判明し且つ使用中のもので使用により通常減価を生じる物件については一律に購入価額の六割を損害額として請求しており、本件事案の性質上右方法により損害額を算定することは相当と認められる。しかるに、別紙目録(一)の一、八、五五、五六、八六および八七記載の物件については右と異る損害額の算定をしているが、その根拠は明らかでないから、右各物件についても別異に取扱うべき理由はなく、同物件についても購入価額の六割を損害額(即ち本件事故当時の価額)と認めるのが相当である。したがって、≪証拠省略≫によれば、別紙目録(一)の一の物件は二万五、二〇〇円、八の物件は六〇〇円、五五の物件は七二〇円、五六の物件は三〇〇円、八六の物件は一三万五、〇〇〇円、八七の物件は七、二〇〇円が損害額であり、同目録記載のその余の物件の損害額は、同目録「損害額」欄記載のとおりと認められ、右認定の損害額は合計二五二万一、三七六円となる。なお、原告らは右のほか、本件事故による宅地損壊の復旧工事見積費として一〇万円を請求しているが(別紙目録(一)の九一)、≪証拠省略≫によれば、米一および原告らは、本件事故後他の場所に居を変え、右土地は現在および将来とも宅地として利用する意思のないことがうかがえるので、右費用は本件事故による損害とは認め難い。成立に争いのない甲第三号証の始良郡牧園町長作成の罹災証明書には、被害額として二一六万円と記載されているが、右はその算定の根拠となった被害の明細等が明らかでないから、同号証に右のような被害額の記載があるからといって前記認定を左右するものではないというべく、他に前記損害の認定を覆すに足りる証拠はない。

3、慰藉料

米一は、本件事故により瞬時にしてほとんどの家財を失い、且つ米一は永年本件場所に居住して来たものであるから、同人は財産損害の賠償とは別途に賠償に値する精神上の損害を受けたものというべく、右米一の精神的苦痛を慰藉すべき金額としては一五万円が相当と認められる。

4、原告らの相続分

米一が昭和四六年一一月一日死亡したこと、および同人の相続関係については、当事者間に争いがないから、原告らは各自右1ないし3の損害の三分の一である一五四万四、一二四円(円未満切捨て)宛の賠償請求権を相続したこととなる。

(二)  原告チヱ、同孝一、同伸一の損害

1、動産の損害

(1) 原告チヱ分

≪証拠省略≫によれば、本件事故により原告チヱ所有の別紙目録(二)記載の家具、衣服およびその他の動産が損壊して使用不能となったこと、右動産の損壊による損害額は同目録四記載の物件を除き同目録「損害額」欄記載のとおりと認められる。右の四の物件の購入価額は、≪証拠省略≫によれば、同目録「原価」欄記載のとおり三万円であることが認められるから、前記(一)の2に記載と同様の理由により、右物件の損害額は一万八、〇〇〇円と認めるのが相当である。そうすると、原告チヱの動産に関する損害額の合計は二三万五、一八〇円となる。

(2) 原告孝一の分

≪証拠省略≫によれば、本件事故により原告孝一所有の別紙目録(三)記載の学用品、衣服およびその他の動産が損壊して使用不能となったこと、右動産の損壊による損害額は同目録一、一五ないし一八、三二の物件を除き、同目録「損害額」欄記載のとおりであることが認められる。そして、≪証拠省略≫によれば、別紙目録(三)記載の一、一五、一七、一八、三二の物件の購入価額は同目録「原価」欄記載のとおりであること、同目録一六の購入価額は三、二〇〇円であることが認められるから、前記と同様の理由により右各物件については購入価額の六割を損害額と認めるのが相当であり、したがって一の物件は一万八、〇〇〇円、一五の物件は三、二六四円、一六の物件は一、九二〇円、一七の物件は七二〇円、一八の物件は一、九二〇円、三二の物件は一、五六〇円が損害額と認められる。そうすると、原告孝一の動産に関する損害額は合計一二万八、五五四円となる。

(3) 原告伸一の分

≪証拠省略≫によれば、本件事故により原告伸一所有の別紙目録(四)記載の学用品、衣服およびその他の動産が損壊して使用不能となったこと、右動産の損壊による損害額は同目録「損害額」欄記載のとおりであることが認められるから、原告伸一の動産に関する損害額の合計は二万九、〇一〇円となる(同目録の被害合計額記載の数値は計算の誤りと認められる)。

2、慰藉料

本件にあらわれた諸般の事情を斟酌し、本件事故による原告らの精神的苦痛を慰藉すべき金額としては、原告チヱにつき一〇万円、原告孝一、同伸一につき各五万円が相当と認められる。

六、よって、原告らの被告に対する本訴請求は、原告チヱが一八七万九、三〇四円、原告孝一が一七二万二、六七八円、原告伸一が一六二万三、一三四円および右各金員に対する訴状送達の翌日であることが記録上明かな昭和四七年一二月二二日から各支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を求める限度で理由があるから、右限度で原告らの請求を認容し、原告らのその余の請求を棄却し、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八九条、第九二条、第九三条、仮執行の宣言につき同法第一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大西浅雄 裁判官 湯地紘一郎 谷合克行)

〈以下省略〉

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